バンコク騒乱が収まり、都が「WE CAN TOGETHER」というキャンペーンをはり街中のクリーンアップ作戦が行われたある日の日曜日。全くそういうものに同調しないタイプの友人有志数人が集まってルンピニー公園を「お掃除」しましょうということに相成った。当日は、都が清掃のキャンペーンを始める2時間前に公園に集合。いつもランニングをしにきている癒やしの公園をお掃除することにしていた。公園周辺は数日前までデモ基地がおかれていただけに辺りは騒然とした残骸が残っている。
頭の中をよぎる過去の記憶。騒乱中のサラデーン駅にいた時にM39ロケット弾がすぐ近くに被弾、真っ青になった記憶やアパートの近くでドンパチが始まって1週間近くも家に缶詰になった記憶や自宅に戻る途中検問でパスポートチェックされ、何でパスポートが赤いんだとM16ライフル銃をもった兵隊さんに質問された記憶なんかをゴミと一緒にキレイにしよう思うのであった。
さて公園は、入り口もまだ僅かにしか空いておらずほとんど人の気配もない。芝生には、炊き出しや弁当の配布があったのであろう飲み物のカラや弁当箱のゴミが目立つ。各自手袋に黒ビニールを手に散乱したゴミ拾いをはじめた。雨降り後だったのもあり、芝生に入るのが少しためらわれたがエイっと踏み込んで作業をしていた。しばらく清掃していると、友人のタイ人伴侶らがコチョコチョ話している。公園の門衛みたいな人に注意を受けたのだそうだ。「公園内はまだ軍の管理下にって都に返されていない」とのことである。おっと、芝生の中で足を止めるのである。「まだ、危険ゾーン」ってことなのである。だから誰も居ない訳だった。
すると向こうの方からバイクに乗った兵隊さんが結構不機嫌な顔で登場。軽く排除されてしまった。やはり人の先回りをしようとするとなにかと面倒くさいことが起きるバンコクである。外に出ると都のキャンペーンに参加する人たちが大勢集まってきていた。みんなの顔が明るく輝いてみえる。やはりタイ人は、人助けをしている時の顔が一番キレイだしサマになるなと感じた。この日一日でバンコクは、表面的なアカを落とした訳である。
この記事は、2002年~2015年に雑誌掲載されたものに、加筆修正をしたものです。記述内容が当時のものであり、現状と違う部分が含まれています。