80歳になる母とその同級生の母2号が2人で訪タイしてきた。バンコク訪問は、もう何度目にかになる為、自分達で航空券を手配し自力で空港に降り立った。最初は、団体パッケージ旅行で来ていた旅も、今回は1ヶ月の滞在となりアパートを手配して暮らすことになった。彼女達は気の会う友達で、戦前の昭和時代の女学校からの付き合いということで気兼ねなく一緒に過ごせるらしい。たがいに未亡人であるが故に気楽な身の上というのもある。
1ヶ月もの間まったくのノープランできているので、ゆっくり過ごしてくれるかと思っていたらそうではないらしい。毎日の日課のように大型デパートのパラゴンとセントラルデパートに通い、日々新しい発見をしてくる。合計160歳の高齢者が2人して杖をついて歩く姿は、なんとも周囲には不思議に移るらしく色々な人に声をかけられるという。デパートのドアマンと知り合いになったとか、博物館で日本人男性にナンパされたとか。その日一日の出会いを夕食になると2人で嬉々と話している。
そんな中、やはりタイ人のやさしさに触れて感謝してしまうが高齢者に対する気遣いである。買い物袋を抱えてふたりして歩いていると、高校生と思われる子達に声をかけられ、随分と家の近所まで付き添ってもらったとか、レストランに入ると満席に近いのに一生懸命席を準備してくれたりするのだという。
一度、ランドマークである高層ホテルバイヨークに夜景を見に行くとホテルマンが2人の元気のよさに感激して抱きつきそうになっていた。人間にやさしいタイ国民の感受性には、いつも心をいやされる。
日本では、周囲や社会に対する無関心があったり、家族や集落に対する共有意識が責任感の無い個人主義にとってかわられたりしているように感じる時がある。戦中・戦後を生きた彼女達にすると、その時代に翻弄された時期を含めて「日本」という国の移り身の速さを気づかされた世代かもしれない。
「昔の日本人はもっと誇りをもっていたのにね~」というのが母の口癖でもある。
都会になっていくバンコクも「昔のバンコクは」なんていうフレーズを聞かない訳でもない。しかし、タイ人の根底にある人と触れ合うことで形作られている共生の社会が、大きく崩れない限りやさしさは続くような気がする。
160歳の母達は、次回は3ヶ月間の滞在にする予定だという。
この記事は、2002年~2015年に雑誌掲載されたものに、加筆修正をしたものです。記述内容が当時のものであり、現状と違う部分が含まれています。